他人の体験を
消化するためには、
自分の体験の消化の
何倍もの時間を要する。…
何年もかかる。
何十年もかかることもある。
すぐには呑み込めない。
心と身体が拒否をする。
共感なんておいそれと
できることではないのだ。
(アルカナシカ、田口ランディ)
自分の体験ですら、
なかなか消化できないのが
人間です。
自分に降りかかったばかりの時には、
なぜ、どうして、なんで、
という問いばかりがもたげてきます。
それでも、時間が経つと、
ちょっとずつ
受け入れられるようになります。
しかし、ふと、
他人のことが目に入ると、
比べてしまったり、
自分のことを思い返したりして、
また、ぶり返すことも少なくないです。
せっかく消化しかけたものが、
戻ってしまうようなものでしょう。
他人の体験はもっと
理解するのが難しいです。
自分には出来なかった努力体験、
自分のこれまでの常識では
理解できない現実など、
幸不幸どちらにしろ、
なかなか消化しきれません。
それを踏まえて、
他人の体験を聞くようにしないと、
ただ否定することになってしまいます。
私たちは一人一人の人間ですから、
他人の体験を
強く拒否する必要もなければ、
必要以上に共感して
巻き込まれることもありません。
ただただ、そういうこともあるんだ、
と消化できればいいのです。
求められていない
自分の意見なり考えに、
強く執着するときに、
消化不良になるのでしょう。
(参考)アルカナシカ(田口ランディ)
No.4413