他人の不幸に…

他人の不幸に
他人が首を突っ込んだら、
事態がややこしくなるだけだろう。

本気で他人を救いたいなら、
そいつの不幸を全部
しょい込むくらいの気概がないとね。

(花物語、西尾維新)

他人の不幸に、興味本位、
あるいは、ちょっとした良心を携えて、
首を突っ込んでみたところで、
いやいや、これくらいの助けじゃ、
どうにもならないなぁ、
って感じさせられることがあります。

やっぱり、本人が
自分で何とかしてやるんだ、
っていう本気の気持ちがないと
いけないんだなぁ、
って気づかされます。

場合によっては、
それ以前に、
まわりが思うほど、
本人が「不幸だ」と
思っていないこともあるのです。
慣れていて…

だから、
他人の幸不幸を、
自分のモノサシでは
量りきれないという
現実があるのでしょう。

「私だったら、
 不幸に思えてしまう」
という他人の状況があったとしても、

「私」のことじゃないのです。

あくまで、それは「その人」のこと。
「その人」が感じる「幸せ」であり、
「不幸」なのだ。

それに対して、
中途半端な気持ちで、
中途半端に助けて、
感謝されたり、
問題が解決したり、
不幸がなくなったりする、
っていう期待は、間違っている。

誰にとっても、他人の人生は、
背負いきれるもんじゃない。

(参考)花物語(西尾維新)

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