人がお金を持ったときって、
その人の器量が問われるんだよね。
それがどんな形で現れるかというと、
その人のいちばん弱いところに現れるの。
たとえば地位や名誉に弱い人には、
そうした心をくすぐるような
投資話が来るんです。
それで見栄をはったりすると、
その見栄に転ぶんです。
男性で女に弱い人は女で失敗したり、
芸能人に弱い人は芸能人にハマって
引っかかったりするの。
こうやって天の試練は必ず
その人のいちばん弱いところに現れて、
その人の器量を試すんです。
人生はそうやって、
弱いところを強くする
という修行なんだよね。
(器、斎藤一人+柴村恵美子)
お金で転んだ経験を
思い返してみると、
やっぱり弱点なところに
罠がやってきたなと気づかされます。
きっとお金だから、
失敗したわけじゃないと
思うんです。
お金で失敗したところには、
だいたい時間も注いじゃっている。
そう思います。
もっとさかのぼれば、
心を注いじゃっているんです。
注ぐに値しないもの、
もしくは
注ぎすぎてしまったことには、
自分のとらわれがある。
そのとらわれが、
自分のもっているものを、
そこに注がせて、
その中でも
お金なんかは見えやすく、
分かりやすいから、
「損した」「失敗した」
という感覚が残りやすい。
本当は、それ以前に注いでいる、
心や時間でミスっているんだけどね。
今の自分は、何に
心や時間を注いでいるか。
それが自覚できれば、
お金の失敗をする前に
やめられるだろうけど、
なかなか、そうはいかないのが人間だ。
(参考)器(斎藤一人+柴村恵美子)
No.5564