さびしさをごまかそうとかしてはならない。
自分を欺いたりしないで、
そのさびしさをまっすぐに見つめ、
その自分の心に忠実にしたがえばよい。
(大河の一滴、五木寛之、親鸞の言葉より)
さびしい、空しい、
それは、私たちの奥深くから来る感情。
何かでごまかそうとしたり、
何かですり替えたつもりになっていても、
それが本当に満たされていたかは、
時が経つと、分かってくる。
そして、そのさびしさの原因は、
誰かが近くにいないことでもなく、
自分の持ち物が少ないことでもなく、
やっぱり、心に、どんな器を用意しているか…
自分の心のどこに、
どんな器があるか、見つめてみましょう。