幸福はさまざまだが、不幸は驚くほど一様である

幸福はさまざまだが、
不幸は驚くほど一様である

(朝日新聞天声人語、2002年11月19日)

この言葉の前部分と、後部分。
なるほどな、って思う。

天声人語の本文では、
トルストイの「アンナ・カレーニナ」の名文から、
この言葉を生み出している。
その名文は、
「幸福な家庭はみな同じように似ているが、
 不幸な家庭は不幸なさまも
 それぞれ違うものだ。」という言葉。

どちらも正しいように思うのは、私だけか。

おそらく、トルストイの言葉は、
不幸な者から見た場合の言葉。
天声人語の方の言葉は、
いわゆる日本人らしい
中流の暮らしをしている人から見た場合の
言葉かなって思う。

価値観が多様化したことによって、
幸せを感じる対象が、
いろいろと現れてきた日本。

そして、価値観の多様化は、
人々をある意味強くし、
逆に、ある意味弱くもしているから、
幸福を感じる強さ、
感謝の強さも、様々となってきた。

しかし、不幸を感じた後の行く先は、
「心の病」とか、「家族の崩壊」とか、
そんなところになってしまう。

日経BPというビジネスメールにさえ、
「もはや他人事でない心の病」というタイトルの
ニュースが出てきたくらいだから…

やっぱり、
心と家族が、一番近いものだから、
不幸というものは、
結局、その共通の土台を壊してしまうのでしょう。
壊し方は、様々でしょうが…

だから、幸不幸にかかわらず、
その心と家族のケアを
忘れないようにしたいもの。

そこは、すべての力の源にもなるし、
すべての不幸の溜まり場にもなるから…

【参考】
エイジ(重松清)


人生の短さについて(セネカ)

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