若い時は、興味が散漫なため忘れっぽく、…

若い時は、
興味が散漫なため忘れっぽく、
年をとると、
興味の欠乏のため忘れっぽい。

(温順なクセーニエン、ゲーテ)

興味の対象が奪われた状態っていうのは、
若い者にとっても、年をとった者にとっても、
いい状態でないことが分かる。

だって、若い時は、
その奪われた興味の代わりを探そうと、
また懸命になっては、
それが定まらずに、散漫になる。

年をとった時には、
新たな興味を抱くことが難しいから、
放心状態になる。
リストラや定年退職になるまでに、
自分の興味を育ててこなかった状態が
それだと思う。

今の私は、どちらかな、と思うと、
両方が存在する時期のように思う。

まだまだ、いろんな好奇心があって、
散漫なところがある。

しかし、同時に、
興味の欠乏している分野も多いにあり、
その点については、すごく忘れっぽい。
一例をあげれば、
自宅に帰ってきて、妻から話しかけられる言葉がある。

「今日、子どもがね、学校で???」
というような感じ。
「へぇ??。すごい。」というような言葉を
言ったことまでは覚えている。
しかし、その内容となると、すっかり忘れてしまう。

それで、
「子どもの???は、どうなったの?」と
アホの仮面をつけて聞く姿が現れ、
「さっき、言ったじゃないのぉ??。」となり、
興味の欠乏状態がバレバレとなるわけでして…

ああ、恥ずかし、恥ずかし。

そんなことを考えると、
興味の欠乏よりも、
興味を持つべきものに興味を持てないことは、
もっと危ういなぁ、なんて思った。

記憶喪失でない限り、
自分の伴侶、家族、その他の大切な人に、
興味も何もなくなったら、
それは破滅への道を進むばかり…

もしかしたら、
興味って自然に湧いてくる場合もあるけど、
薄まらないように
努力しなくちゃいけないことかもしれない。

【参考】
「原因」と「結果」の法則(ジェームズ・アレン)


モモ(ミヒャエル・エンデ)

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