人をモノとして扱った人は、自分がモノになっている。

人をモノとして扱った人は、
自分がモノになっている。

(ほぼ日、糸井重里)

人前に立った時、
緊張してしまうのは、
人を「ヒト」以上に思ってしまうからだろう。
自分の評判やウワサを、
決定的にするような大きな存在(モノ?)に…

人を邪険に扱う姿には、
また別のものが見える。
世界は、自分を中心に回っているような錯覚が…

人をモノとして扱うというのは、
単純な感情しか持っていない、
あるいは、感情がない、
と決めつけることだと思う。

自分が、
いろんな志向や感情を持っているように、
自分以外の人にもそれがある。

しかし、自分しか見えていないと、
それが見えなくなってくる。

そして、その考え方に基づいて、
行動を始めるわけだから、
失敗にいたる可能性が高い。

その失敗に、どっぷりつかって、
「自分は理解されないんだ。」と
自分に閉じこもってしまった瞬間に、
その自分は「モノ」になってしまう。

なりたくないけど、
知らないうちにそうなっているかも…

ただ、世の中には、
自分をわざと「モノ」として、
売り出す業界もある。
それによって、人の注目を浴びるのが、
最初は気持ちいいから。

しかし、その気持ちよさは、
ずっと続かないこともある。

人は、モノじゃない。
それを忘れないようにしよう、
そう思いました。

【参考】
モノづくりのこころ(常盤文克)


置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です