もしも最初からもっと
良い仕事や環境に恵まれていたなら、
今日の私はなかったでしょう。
自分の置かれている状況に
不平不満の声をあげるばかりで、
その可能性に対して
心を閉じていると、
人生の本当の恵みを
見極めることはできないのです。
(稲森和夫、京セラ創業者)
人が一生懸命になるのは、
何か逃れたいものや環境がある時が、
ほとんど…
それがなければ、
「ま、いっか」で済ませてしまうところが
あるだろう。
苦しみや悲しみも
中途半端であれば、
少し我慢しているうちに、
大丈夫になってきてしまう。
一生懸命にならざるを得ない、
マイナスの環境を持っているのは、
かえって幸せなことなんだよな。
そう思うと…
私も、感謝しなければいけないな、
と思い直した。
ただ、今日は、その一生懸命さも、
少し考えてみたいと思う。
戦時中の言葉と思えるが、
かなりキツイものの、なるほど、
と思える部分もあったので紹介する。
あとに、現代版っぽく書き直した言葉も…
「軍人は有能か無能か、
そして働き者か怠け者か、
これらによって4種に分類できる。
有能な怠け者は司令官に、
有能な働き者は参謀にせよ。
無能な怠け者は…
そうだな、連絡将校ぐらいならできるだろう。
無能な働き者?
それは処刑するしかあるまい。」
(フォン・ゼークト)
(現代版)
「有能な怠け者はリーダーに、
有能な働き者はリーダーの手足にせよ。
無能な怠け者は…
そうだな、適当な仕事をさせておけ。
無能な働き者?
それは、首にするしかないだろう。」
有能な怠け者、有能な働き者については、
なるほど理解できる。
無能な怠け者は、
今の時代なら、すぐにでも、
首にされるような気がするが、
それでも、適当な仕事が与えられ、
首を切られるのは、
無能な働き者ときている。
なぜだろう…?
組織として見た場合、
何もされないということは、
何の影響も受けないことである。
しかし、全体や相手や顧客のことを考えず、
ただ、自分の好きなことをガムシャラに
やっている人間は、少し微妙な位置にいるかもしれない。
あまりにも、斬新すぎて、
周囲が気づかないだけで、
後々、成功することをしているか、
はたまた、本当に、
自分の趣味的なことをしているだけで、
組織全体の働きさえ鈍らせることをしているか、
そのどちらかである。
一生懸命働く気になった時には、
考えてみたい言葉である。