悪人だけでなく善人にも災難が降りかかる理由について…

悪人だけでなく善人にも
災難が降りかかる理由について

第1に、分かりません。
第2に、わたしたちは自分で
思っているほど善良ではないからです。
しかし第3に…

(アーサー・ウェントワース・ヒーウィット)

この第3に続く理由を、
うまく説明している言葉があります。

「悪を行った場合に、苦痛や悲しみ、
 徹底的な罰が直ちに与えられるとしたら、
 悪事を繰り返す人などいないでしょう。
 善を行えば直ちに喜びや平安、
 報いが得られるとしたら、
 悪人はいなくなります。

 すべての人が善を行いますが、
 正しいことをしたいという望みから
 ではありません。この場合、
 人を強くする試練もなければ、
 人格形成も才能を伸ばす機会も
 選択の自由もありません。」
 (スペンサー・W・キンボール)

なんとなく、想像できます。
そんな世界は、
「選んで、結果が出てくる」
という感じではなく、

なんていうか、
ただ流れている世界のよう。
自動販売機でジュースが出てくるように、
いつも結果が決まっている。
奇跡もなければ、
やはり悪に対する葛藤もない。

時に、心の中は、
いっさい悪のない世界を
望んだりしますが…

よくよく考えてみれば、
そのような願いは、
自分がどんな時に成長しているかを
忘れているだけのことであって。

「罰が怖いから正しいことをする」
という気持ちと、
「結果がどうあれ正しいことをしたい」
という気持ちは、
やはり根本が違う…

もちろん、結果が出るまでに
待つ時の気持ちも違う。
「信じる」ことも必要でなくなるから。

矛盾した世界に、
多くの葛藤をもって
私たちは生きているのだけれど、

そして、もちろん「幸せ」になるに
越したことはないけど、

人生の目的が「成長」にあって、
成長しなければ「ホンモノの幸せ」も
感じられないということが分かれば、
もっと自由に責任もって、
生きていけそうな気がします。

いい人生を!

【参考】
生き方―人間として一番大切なこと(稲盛 和夫)


「原因」と「結果」の法則(ジェームズ・アレン)

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