ある時点での成功が、本当の成功かといえば…

ある時点での成功が、
本当の成功かといえば
そうじゃないような気がするんです。

大失敗だと思えたことが、
のちに大いに役立つことも
ありますからね。

(草なぎ剛、雑誌「プレジデント」)

ぜんぶぜんぶが通過点。
終わりはまだまだ先。

そう考えて気楽になる人と、
ガッカリする人、どちらも
いることでしょう。

うまくいっている人であれば、
それがずっと続く確証が欲しい。
そうでない人は、その後に
好転する可能性の確証が欲しい。

でも、あくまでも、未来は未定。
だから、面白い。たしかに、
ある程度の予測が出来たり、
方向性は決まってくるものだけど、
それだって、変わりうるわけで。

たとえば、料理とかでは、
失敗したと思ったものが
意外にうまかったりするように、
予定通りが成功とは限らない。

私は、ポテトサラダが好きだけれど、
あのポテトは、完璧に
つぶれてない方が大好き。

完璧につぶして、
ポテトの姿形をなくしてしまうのを
理想だと思う人がいれば、
私のような人間もいる。

料理に限らず、物事の成功も
そうじゃないだろうか。

自分なりの好みの成功を探すこと。
それが出来ない人は、
いつまでも他人の成功に
ふりまわされる。

長者番付が発表されれば「いいなぁ」、
芸能人の結婚会見を見て「いいなぁ」、
うまくいっている人をみれば、
また「いいなぁ」と。

すべての成功が手に入ることに
越したことはないけど、
持ちきれなくて壊してしまう人もいる。

そこらへんの本質が見えないとね。

思い出した言葉があります。

「悲運に耐えるより、
 幸運に耐えるためにこそ、
 大きな能力が要る。」
 (運と気まぐれに支配される人たち、ラ・ロシュフコー)

【参考】
さおだけ屋はなぜ潰れないのか?(山田真哉)


人生の短さについて(セネカ)

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