自分が何を欲しいのか
分からないでいると、
居たくもないところに
行く羽目になった、
なんて結末はよくあることだ。
(英語)
When you don’t know what you want,
you often end up
where you don’t want to be.
(ボブ・グリーネ)
行く羽目になるのが、
刑務所とかでないことを
祈るばかりです。
不思議の国のアリスを思い出します。
アリスは2つの分かれ道に
差しかかりました。
道は両方ともその先に
伸びていましたが、方向は逆でした。
そこでチェシャ猫に出会ったアリスが、
「わたしはどっちへ行けばいいの」
と尋ねた時に、こんな答えを
もらったのです。
「それはおまえ次第だよ。
どっちへ行きたいか分からなければ、
どっちの道へ行ったって
大した違いはないさ。」
(不思議の国のアリス、ルイス・キャロル)
たいした違いはない…。
いや、実は、
たいした違いがあるのです。
今日の言葉にあるように、
自分が「分からないでいると」
というのがポイントなんです。
でも、だいたいにおいて、
連れて行かれたときに初めて、
「こんなところには来たくなかった」
となるのです。
そこに行き着くまでに、
選択するチャンスは、
いくつもあったことでしょう。
「どちらを選びますか?」
「え?と、どちらでも。」
「ここは、どちらで?」
「ん?、まかせます。」
「ここは、こっちでいいですか?」
「はい、いいです、いいです。」
「はい、着きました。」
「え!? ここ?」
私は思います。
行きたいところ、
欲しいもの、やりたいことが
分からない時っていうのは、
それを探す代わりに、
絶対に、行きたくないところ、
欲しくないもの、やりたくないことを
ハッキリさせるだけでも、
意味があるんじゃないかなぁ、と。
そうすると、その対極にあるものが
見えてくることもあるからです。
でも、イヤなものを、
はっきりイヤと言うのを
日本人は避けたい傾向が
あります。
たしかに、好き嫌いを
はっきり表現すると、
それこそ嫌われやすいですからね。
「わがままだね。」とか、
「子どもだね。大人になろうよ。」
なんて言われたりもして…
だから、イヤなものを
はっきり伝える時には、
その代わりに頑張っていることも
示す必要があるわけです。
「なんでもイヤイヤ人間」
に勘違いされないためにも…
あなたは、欲しいものを示せますか?
それとも、要らないものを示せますか?
【参考】
「泣きたい日」の頑張りかた(吉元由美)