…答えが出ないから苦しんでいる。…

もう考えなくていいんだよ。
考えて答えの出ることは
すでに答えが出ています。

答えが出ないから苦しんでいる。
考えること止めよう。
もうがんばらなくていいんだよ。
もう十分がんばりました。

ゆっくり休もう。
そしてゆっくり待とう。
明日は自然にやってきます。

(水谷修先生の夜回り日記、毎日新聞)

oracionさんからの投稿です。
ご自身がよく考えて、
悩まれる方なのでしょう。

たしかに、私も、
無責任な「がんばれ」という言葉は、
好きでありません。
怒りさえ感じます。

たとえば、調子がいい時、
苦しいけど先が見えている時は、
「がんばれ」という言葉を聞けば、
一歩が軽くなり、がんばれますます。

でも、そうでない時は、
重荷以外の何ものでない。
何か押しつけられているような感じ…

それと同じことが、
「考えてみろ」という言葉にも、
当てはまるんでしょう。

それを言う側は、簡単なんです。
そういう私も、子供たちは、
「考えろ」なんて気安く言っています。

ただ、考える時って、
考えようとか思って
考えるもんじゃないです。
仕事でもない限り…

考えざるを得ないとか、
考えたくなるから、あるいは、
自然にそればかり考えている。
それが真相だと思います。

それゆえ、考えていなかった人が、
あとで後悔することも確かにあります。
じゃあ、その人が、
考えるべきだった時に、
「よく考えてみろ」と言われていれば、
その後悔が回避できたか、と言えば、
そうとは限らない。

やる気、という言葉に
集約してしまうのは、
ちょっと乱暴かもしれませんが、
「考える気」がないのに、
考えさせることは、難しいのです。

そうだとすれば、
考える次にベストなのは、
休むとか、待つとかに
なるんでしょう。

さあ、考えてもしょうがないことは、
もう、考えるのをやめましょう。

【参考】
夜回り先生と夜眠れない子どもたち(水谷修)


置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子)

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