人生のなかで、証明なんてものは…

人生のなかで、
証明なんてものは
他の誰でもない自分自身に
するものなんだ。

(英語)
In this life
you don’t have to prove nothing
to nobody except yourself.

(映画「ルディ」)

さすらいびとさんからの投稿です。
コメントは以下。
「誰かに自分の力を証明するため…
 確かに、それは、
 自分を動かす原動力にはなるけれど、
 ある意味では、
 その『誰か』に左右されてるわけで、
 揺れやすいものでもあると思う。」

その通りですよね。

身近に、いい例として、
いつも、証明というか、
弁明して生きている方がいます。

たとえば、私が送った
朝9:00のメールに対して、
その方が、夕方の6:00に
返事をくれたとします。
(ほとんど、そんな感じ…)

返事の中には、
「今、メールに気づいたので」
「携帯が充電中だったので」
「マナーモードにしていたので」
必ず、そんな言葉から始まります。

しかし、私には分かっているのです。
その方が、メールを受信してから、
完璧な返事を送ろうとするために、
それだけの時間をかけていることを…

そういう性格なので、
弁明もしたくなるし、
完璧な返事も送りたくなる。

つまり、自分の行動や言葉を
(時には伴侶の行動や言葉についても)、
自分の思い通りに理解してもらわないと、
気が済まないから、そうなります。

おそらく、
自分の思い通りに理解されないことに、
ものすごい恐れとか嫌悪感を
感じてしまうんでしょう。

ただ、事実は、次の言葉が
表していると思います。

「誇示されたものは欠如を表す」
(フロイト)

つまり、こう理解して欲しい、
と強く示したい思いの中には、きっと、
「本当はそう思っていない」事実を
知っている心があるのでしょう。

だって、自分の思いは
自分のものなんだから、いくら
誤解されてもいいじゃないですか。

誤解する人は、
それが正しいと勘違いして、
誤解しているのではありません。
ほとんどの場合は、
そう信じたいから、
そう思いこむのです。
(芸能情報なんか、一番いい例)

証明したい、弁明したい、
と思った時には、
このことを思い出しましょう。

【参考】
簡単に、単純に考える(羽生善治)


常識にとらわれない100の講義(森博嗣)

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