われわれは、どちらかといえば、…

われわれは、
どちらかといえば、
幸福になるためよりも、
幸福だと人に思わせるために
四苦八苦しているようである。

(ラ・ロシュフコー)

SPKさんからの投稿です。

するどいですね、
本当に、この言葉は…

わたしたちは、
人から幸福だと思われれば、
自分が幸福を感じられると
思う時がある。

だから、自分では
幸せだと思っていても、

もっと多くのものをもつ人々から、
「あら、かわいそうね」なんて
言われると、とたんに、
自分の幸せに自信がなくなり、
必要のないものまで
欲しくなってしまう。

その先には、その多くの人々が
到達する「虚しさ」がある。

賢いと思われたい、
いい男(女)と思われたい、
お金持ちと思われたい、
成功していると思われたい、
幸せに思われたい。

きっと、思われたい気持ちが
まったくなくなれば、
生活の張り合いも
なくなるかもしれないけれど、

必要以上に、
「思われたい」気持ちが
強すぎれば、間違いなく、
自分を見失う。

みんながみんな、最初から、
自分と他人に誇れるような
何かを持っていれば、
他人の評価なんて
気にしないはずだろうけれど、

残念ながら、
そういうものがあるとは
限らない。

だから、あるように
「見せなければいけない」
「思わせなければいけない」
気がしてくる。

人間の悲しい性(さが)だけれど、
それを認めながら、自分の選択を
考えていかないとね。

【参考】
ラ・ロシュフコー箴言集(ラ・ロシュフコー)


人生の短さについて(セネカ)

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