知識に埋もれて、知恵が見つからず、…

知識に埋もれて、
知恵が見つからず、
情報に埋もれて、
知識が見当たらない。

(英語)
Where is the wisdom
we have lost in knowledge?
Where is the knowledge
we have lost in information?

(T・S・エリオット)

一番の原因は、
広告が氾濫していることでしょうね。

たとえば、メールで言えば、
今なお、私に送られるゴミメールは、
毎日のように増えています。

その中から、
ホンモノのメールを探すのは、
けっこう至難の業。

フィルターソフトも
使っているのですが、
最近は、それを通り抜けたり、
フィルタ機能を停止させたりする
やっかいなものも出てきているし。

もう、それこそ、
イヤになっちゃいます。

このメルマガの読者の方々の中にも、
メルマガでなく、RSSを読むようにしている
人々も多くなっているはずです。
ちなみに、当サイトからも発信しています。
(RSSを知らない方は、聞き流しOKです。)

情報化社会では、
みんなが自分のことをアピールするために、
いろんな情報を発信できる。

しかし、それは、
受け手に身を置くことになれば、
多くの情報や知識に埋もれることにもなる。
情報や知識が増えたからと言って、
1日が24時間以上になるわけでもないし、
寿命が延びるわけでもない。

今までと同じ時間枠の中で、
増えすぎたそれらを、
うまく扱っていく方法を身につけて
いかなくちゃならないわけです。

いっそのこと、
すべての情報や知識を
拒んではどうだろうか、
なんて考える人もいることでしょう。
「北の国から」みたいな感じ…

しかし、実際は、
完璧な自給自足が出来ない限り、
情報からは遠ざかれないわけで。

情報と人生に板挟みの私たちは、
ジレンマに陥るわけです。

T・S・エリオットは、
こうも書いているんです。

「生きることに埋もれて、
 人生を見失っている。」
(Where is the Life we have lost in living?)

偽りの愛に埋もれて、
真実が見えなくなってしまうのも、
ある意味、似ているのかな?

(参考)キャッツ?ポッサムおじさんの猫とつき合う法 (T.S. エリオット)


「原因」と「結果」の法則(ジェームズ・アレン)

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