自分が見下されているから、
人を見下そうとするのだ。
見下されない高さまで
上り詰めるしかない。
(訳あり、横山秀夫)
見下されるのが悔しいと言いながら、
何の努力もせずに、
自分より劣っているものを探して、
見下そうとする人は、
イヤな感じがしますね。
見下されない高さまで
上り詰めようとする努力だけで、
意味があると思う。
1つは、
見下されていることを
忘れていることができる。
もう1つは、
もしかしたら、
見下されない高さまで
上り詰めることができるかもしれない。
でも、上り詰めたことに安心して、
ほかの人を見下し始めた瞬間に、
また、見下されることになるだろう。
ただ、一番幸せなのは、
見下されていることに
気づかない精神なのかも。
だから、見下されないようにがんばる、
っていうのは、1つのきっかけに過ぎない。
そういう努力ができる自分を感じた時に、
見下されるかどうかを気にしなくていい、
と思えるようになることもある。
人を見下したところで、
自分の人生の「質」が
よくなるわけじゃない。
逆に、見下されたところで、
自分の人生の「価値」が
下がるわけでもない。
自分が自分の人生をどう見るか。
それが大切なんだと思います。
(参考)深追い(横山秀夫)
No.2438