『もし』なんて、仮想の話ほど…

『もし』なんて、仮想の話ほど
くだらないものは、ない。

もし、あいつと同じ力があったら。
もし、あのときこうしていたら。
もし、べつの生き方を選んでいたら…
くだらない。
百万回唱えても、なに一つ変わらない。

(バッテリー?、あさのあつこ)

親には、ちょっと申し訳ないけど、
もし、この親じゃなかったら、
と思った時が、私には何度もありました。

自分の親を、
ひどいヤツだと思う人は、
きっと少なくないだろうから、
たいして珍しい話じゃないでしょう。

ただ、そのひどいっていうことにも、
いろんな種類があるから、
そう思うことが必ずしも、
「恩知らず」とか
言えることとは限らない。

言えることといえば、
自分の選べた「もし」よりも、
自分が選べなかった「もし」は、
もっと意味がないということ。

与えられたものは、
乗り越えていくしかないわけで、

自分で選べたものだったら、
失敗と分かった時点から
改めていけばいい。

そもそも、
「もし」という言葉が思い浮かぶのは、
そう考えてしまう事態、もしくは、
解決しなければいけない問題が
目の前にあるからであって、

そういうシーンにおいて、
「もし」ばかりを考えたところで、
現実は何にも前には進んでいかないのだ。

今出来ることを1つ1つやっていく。
そういうことでしか、
目の前のことは変わりようがない。
「もし」のパターンをいくら増やそうとも、
それしかないのだ。

(参考)バッテリー?(あさのあつこ)

No.2824


道は開ける(ディール・カーネギー)

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