「いろいろ」ってのは、
いいもんです。
「いろいろ」を発見できるのも、
たのしいです。
「いろいろ」があるおかげで、
あれこれめんどくさくなることも
おおいんですけれどね。
ぼくは、人間の社会は、
めんどくさくても
「いろいろ」のほうに
進むんだと想像しています。
(あたまのなかにある公園。、糸井重里)
家のなかに、
いろんなものが
散らかっていると、
整理したくなる性分です。
仕事机の上は、
スッキリ整理していないと、
仕事がはかどらない性分です。
いろいろな選択肢があると、
迷ってしまう自分を知っているから、
そうなのでしょう。
もしも、
いろいろを選んでも、
また、それを選んでミスっても、
自分に責任がなければ、
私たちは、いろんなものを
かき集めてしまうかもしれない。
料理を食べるときには、
いろいろ食べたい気持ちになる。
けれど、料理をする側になった時には、
いろいろを準備するのは、
けっこう大変で、なんだか面倒くさい、
という気分になるかもしれない。
それ以前に、
いろいろと料理するためには、
レシピ本をたくさん広げるか、
頭のなかに、たくさんのレシピが
入っていないと、不可能です。
いろいろっていうのは、
それを用意するだけのネタがないと、
不可能なんですよね。
世の中が、
「いろいろ」を恋しくなると、
大量生産のモノだけでは
満たされないことになる。
それは、いろいろな人がいて、
いろいろなものを作ったり発信したり
することが許される世の中。
みんなに、
いろいろなチャンスが
巡ってくるには、
いろいろを大切にしてくれる
世の中の方がいいんですね。
私も、いろいろを愛そう。
(参考)イトイの通販生活。
No.3549