(余命)二年と云われたら…

(余命)二年と云われたら
十数年私を苦しめてきたウツ病が消えた。
人間は神秘だ。
人生が急に充実して来た。
毎日がとても楽しくて仕方ない。

死ぬとわかるのは、
自由の獲得と同じだと思う。

(役に立たない日々、佐野洋子)

今、余命を宣言されたら、
とんでもない、まだまだ生きたい、
と思うところと、

うーん、
余命10年とか宣言されたら、
残りの時間が分かりやすくて、
やりたいことに集中できるかな、
とか考えるところもある。

いつ死ぬか分からない、
っていうのは、
かなりのリスクだ。

ただ、考えようによっては、
生きることが辛くない人にとって、
死ぬということがわかるのは、
きっと、束縛を感じること。

また、生きることが
辛く感じている人にとっては、
余命が分かるということは、
自由を感じられる日かもしれない。

苦しみ、悲しみ、
退屈、マンネリ…

人間が解放されたい、
と思うものは、
いっぱいある。

自分で乗り越えられるものもあれば、
時間が経たないと、
目の前から消えてくれないものもある。

あと、これだけの日々を、
がまんすればいい、という事実は、

必要なお金とか、
出来ることが限られてくるし、

かえって、人間は、
いろんなことが見えてきて、
集中できるだろうなぁ。

余命が分かるときまで、
がんばらないといけないな。

(参考)役に立たない日々(佐野洋子)

No.3723


人生の短さについて(セネカ)

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