自分という歯車のかたちを変えるのか、…

自分という歯車のかたちを変えるのか、
それともかたちは変えず、
ぴったりと填る場所を新しく探すのか。
歯車として生きるのならば、
人間どうしたって
この二通りの生き方しかできない。

歯車はみんな大切なのだから、
どちらがいいとはきっと言えないのだろう。
ただ、歯車であることを
放棄するような人間にだけはなりたくない。

(プロムナード、道尾秀介)

組織の歯車なんかになりたくない.

そんな感情を、人は一度くらいは
思うんじゃないだろうか。
もちろん、わたしもある…

けれど、歯車っぽい仕事から離れてみて、
歯車っぽい仕事の大切さが分かったりもする。

そして、もっと客観的に見れば、
この社会全体からしたら、
自分はどうしたって、
なんらかの歯車にすぎない、
という現実を認めなければいけない。

それを認められるようになると、
かえって、肩の力が抜ける気がします。

そっかぁ、
歯車なんだぁ。

でも、歯車は歯車で、
いろんな形があるから、
自分のカタチにあった場所を探すか、

自分が変えたいように、
ちょっとずつ進化させるか、

そういう方法もあるんだな、
って気づかされる。

それは、
「歯車なんかになりたくない」
って強情になって、
まわりからのいろんな助けを
蹴散らすよりも、

自分らしい道を開ける方法
かもしれない。

わたしは歯車。
それで、けっこうなのだ。

(参考) プロムナード(道尾秀介)

No.3856


置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子)

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