わかってほしい生き物。…

人は誰しも、
自分のことを
わかってほしい生き物。

(ハーバード流宴会術、児玉教仁)

人前で話すような場面で、
うん、うん、
とうなずいてもらいながら、
話すのは、とても心地いい。

けれど、
うなずかれないどころか、
うつむかれたり、
コソコソ話されたりすると、
話し続けることが
なんとなく苦しくなってくる。

わかってもらえてる、
という安心感は、
自分の自信を強めてくれる。

だから、
わかってもらえていない、
と思える人々を前に、

わたしたちは
自分の力を出すことに
抵抗が出てきたり、
躊躇したり、
怖れたり、
逃げたりしたくなる。

出来れば、
自分が何かをする時には、
「わかってもらえる」ような環境を
お膳立てしてから、
(あるいはお膳立てしてもらってから)

がんばりたいと願うでしょう。

けれど、いつも、
そうなるとは限らない。

そこで、
お膳立て(もしくは根まわし)に
力を注ぐことにもがんばるか、

お膳立てなしで
ぐいぐいがんばるか、

の選択になる。

どちらがいいかな。

(参考)ハーバード流宴会術(児玉教仁)

No.5800


道は開ける(ディール・カーネギー)

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