無駄なことを
いっぱいやって、
なにが大事なのか
わかるんじゃないか。
(水滸伝 9 嵐翠の章、北方謙三)
もしも、
人のしゃべる言葉が、
ムダなことばかりだったら、
きっと、
聞き飽きるだろうなぁ、
と思います。
反対に、
人のしゃべる言葉に、
何一つムダなことがなかったら、
それも、
また同じように、
聞き飽きるだろうなぁ、
と思うのです。
ムダなことは、
やっぱり必ずしも、
必要なことではない。
けれど、
必要じゃないけれど、
それがあることで
何か余裕やゆとりを生んで、
いい結果をもたらすことも
少なくない。
そして、
幸いなことに、
何か物事をする前に、
無駄かそうじゃないか、
いつも分かっているとは
限らない。
これが助かります。
これから、
無駄なことをするぞー、
っていう感覚は、
自分にしてみれば、
なんとなく後ろめたいし、
周りにすれば、
そんな暇があるなら
手伝ってくれみたいな空気に
なりがちな日本だからです。
ムダかどうか分からないからいい。
だからこそ、ミスもあるけれど、
それによって、面白くなったりもする。
ムダっていいんだな。
(参考)水滸伝 9 嵐翠の章(北方謙三)
No.5810