心の悩みを
打ち明けられる人が
一人でもいれば、
生きていくのに
十分ではないか。
(居眠り磐音(17) ─ 紅椿ノ谷、佐伯泰英)
子供の頃に学んだ「論語」
のせいなんだろうか。
「四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして…」
の通りに、歳を重ねると、
落ち着いてくる、
悟りを得てくる、
みたいに思っていた。
しかし、どうも、
自分を見ても、
自分の親も含めて
高齢者の方を見ても、
ダメなところは、
ダメなままという気がする。
今年の目標の一つに、
母とスカイプを
つなぎっぱなしにして、
聞き役になることを決めたが、
聞けば聞くほど、
母の性格や口癖を通して、
自分にある欠点やら話し方に
気づかされて、苦笑いの日々だ。
さらに思うのは、
しゃべってもしゃべっても、
癒されることのない「底なし」の
おしゃべり依存症っていうのも
あるんじゃないかということ。
おしゃべり依存症の人に、
身内でも、知人にでも、
聞き役の人がいなかったら、
不機嫌の塊になってしまうだろうな。
No.7171