いつだって、…

いつだって、
自分にこう問いかければいい。
「俺が、もし、あいつの立場だったら、
正しいことができたのか?」とな。
そこで、
「俺ならできた」と思えるなら、
とことんまで非難してもいい。

ただ、「同じ立場だったら、
同じようなものだったかもしれない」
と感じるならば、
批判もぐっと堪えるべきだ。

(首折り男のための協奏曲、伊坂幸太郎)

「わかる」
という言葉は、
微妙なものだと思う。

「わかる」と言った本人は、
何かしら安心したり、
言った相手に近づけたような錯覚に
陥るけれど、
本当のところは分からない。

逆に「わかる」と言われて、
その先の話を聞いてみると、
なんだか分かってもらえた気がしない、
という場合もあるだろうし。

そんなものであるから、
「分かり合える」なんていうのは、
かなり難しいことかもしれない。

それを期待しすぎたり、
「わかった」気になるのを、
自分に警戒した方がいいだろう。

今の時代は、情報がすぐに手に入る。
医者でなくても、薬剤師でなくても、
病気や薬のことを
「わかった」気になりやすい。

自分のことだから、たしかに、
分かっているかもしれない。

けれど、自分のことだからこそ、
分からないこともあるから、
人は、一筋縄ではいかないんだな。

(参考)首折り男のための協奏曲(伊坂幸太郎)

No.7372


こころの処方箋(河合 隼雄)

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