やらなくても…

やらなくても
いいことなら、やらない。

やらなければ
いけないことなら手短に。

(遠まわりする雛、米澤穂信)

情報が簡単に入り、それに
埋もれて溺れそうな私たちは、

いろんな情報に
首を突っ込む前に

「知らなくてもいいことなら、
 知ろうとしない。
 そして、知らせることで、
 ただ不安がらせるだけの情報なら
 発信することも考えた方がいい。」

という判断が必要になる時も
あるように思います。

自分の奥さんが亡くなり、
その時の様子を知らせ、
さらに知人へ感謝を伝える文章を
Facebookに投稿された方がいました。

知人一人一人に電話をしたり、
ハガキを出したりすることに比べれば、
遺族としては労力が少なく、
とても助かることかもしれません。

ただ、知人らのお悔やみの言葉が、
コメントとして、遺族ばかりでなく、
他の方々に見せられる状態や
そこに「いいね!」が
たくさん寄せられている状態に
少し違和感を感じました。

なんていうか、
遺族と同じ視点になって受けとれる人
ばかりが読むわけでない場所に
置かれている、その言葉の大切さが、
なんだか薄れてしまうようで…

また、病気の苦しみから
解放されたことは
「いいね!」かもしれませんが、
やはり、他人の死にかかわることを
「いいね!」にしてしまうのに
居心地の悪さを感じました。

「いいね!」が出来ない私は、
頭が固いだけなんでしょうかねぇ。

信じるものはある私ですが、
「自分だったら」と考えると、
どうしても「いいね!」とは言えない。

(参考)遠まわりする雛(米澤穂信)

No.7606


道は開ける(ディール・カーネギー)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です