努力をしたからといって胸を張るようなことは
やっぱり好きじゃない。
努力そのものに価値があるとは、やっぱり思えない。
しかし、若いときの考えと今違うのは、
努力なしに何かできることは、どうやらありえないと、
うすうすでも知ってしまったということだ。
(ほぼ日「今日のダーリン」、糸井重里)
「胸を張るためだけの努力」も、
「せかされて、しょうがなくする努力」も、
努力には変わらないけれど、
果たせなくてもいいとは言わずとも、
どこかであきらめているような努力は、
すこし、もったいないかもしれない。
少なくとも、努力する時には、
叶える何かのために、
それにちゃんとつながる計画と考えが、
すこしは具体的にあって、
具体的にちゃんと動いていることがいい。
その結果はどうあれ、受け止めて、
また次のことを具体的に考える。
単なる同じことの繰り返しでなく。
結果だけが大切じゃあないけど、
努力だけが大切でもない。