結局はいつも「他人から見られている」という考えが強いんでしょうな。…

結局はいつも
「他人から見られている」
という考えが強いんでしょうな。

いってみれば
「見られていること」だけを
生きがいにしているのかも知れません。

さびしいことです。ということは、
自分を見失っていることですからね。

(小説「二宮金次郎」、童門冬二)

自分の目と他人の目、
そのバランスをうまくやっていくのは、
正直、難しいことも多い。

失った自分が何であったかでさえ、
忘れてしまうくらいの状態も
あるくらいだから…

他人の目をまったく無視することなんて、
もちろん、出来ない。
関わりを持たずに生きることだって…ね。

自分の気にする他人が、
自分の成長にあった見方を
どれくらいしてくれるか、
それがポイントなんだよね、多分。

そうしない他人、
気晴らしだけで人をとやかく言う他人、
人を利用しようとする他人、
陥れようとする他人、
そういう目は参考程度でいいんだよ。

それを中心に置いたら、
身動きが出来なくなるし、
やっぱり、楽しいわけがない。

自分を見失わないで
他人の目を気にする方法、
見つけたいものです。

でも、そもそも、見失う前に、
自分を持っていたかも、
大いなる疑問だ。

【参考】
バカの壁(養老孟司)


置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子)

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