…何故…頑張っていない自分、をアピールするのか。

じゃあ何故皆、
競いあうように頑張っていない自分、
をアピールするのか。

(インストール、綿矢りさ)

頑張っていない自分を
演じたくなるのは、なぜか。

頑張っている姿に対して、
いろんな見方があるから、
そうなるんだろう。
(ま、なかには偏見もある…)

格好いい、うっとうしい、
シビレル、ウザい、
どうせ誰も見ていない、
空回りしている…などなど。

今年はアテネオリンピック。
夏になれば、一流の選手たちの姿が、
テレビや新聞をにぎわせるであろう。
常日頃、スポーツの観戦ファンでなくても、
頑張っている姿には感動するはずだ。

ただ、その頑張っている姿は、
きれいで、美しく、格好いい。
そう、スマートなんだ。

だけど、自分たちの頑張っている姿は、
そんなふうにスマートじゃないと
多くの人が感じている。

特に、若い頃は、
オトナや先生たちが頑張っている姿を
あまりにも褒めたたえるものだから、
その枠に、はまりたくない子供たちは、
スマートにふるまう姿の方に
目が向いてしまう。

そ、頑張っている姿よりも、
スマートに目標を達成する姿が格好いい、
という価値観。

それは、間違いなく、オトナにもある。
社会の価値観が一方を注目するとき、
それに応えられない人々は、
居場所を失ったように感じる。

そして、
わざと反対の価値観に
向かったりする。

そういう姿を見ると、
「人それぞれ」という言葉さえ、
心に秘めていればいいんじゃない、
と私は単純に思うのだが…

どうやら、本当は、
みんながどこかで頑張って
認められたい気持ちがあるようだから、
簡単な話ではないようだね。

認められたいけど、
うまくいかなかった時のショックが怖い。
だから、そんなことには、
気がなかったようなふりをする。

もしかしたら、
恋の告白ができない心境と同じかもね。
そんなふうにも思った。

【参考】
十二国記(小野不由美)


置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子)

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