最低限しか知らないことほど、
かたく信じられやすい。何よりも…
(英語)
Nothing is so firmly believed as
that which we least know.
(マイケル・デ・モンテギュー)
100円ショップが出来たばかりの頃、
何でも安いだろう、という感覚があった。
それは店内すべてを見たわけでも、
いろんな商品の値段を
他店と比べたわけでもなく、
たとえば、将棋の駒とか、
以前は100円ではありえなかったものに
驚かされて、そういう感覚が植えつけられたもの。
そ、刺激という最低限の情報によって…
それを疑っていない自分にも転機が訪れる。
ある時、他の店で買い物をしていると、
同じものが88円とか、78円で、
ふつうに売られている事実に出会うからだ。
(ま、ささいな話ですが…)
おそらく、
私たちが信じるのは、
それが本当かどうかをちゃんと調べて、
という場合もあるだろうが、
面白い、意外、という刺激、
または単に信じたいからとかの、
場合もかなり多いように思う。
ウワサが信じられる、
広まりやすいのもは、
この原理だろうなぁ…
ちょっとのことでいい。
面白ければ、意外性があれば、
ヒトは飛びついていく。
だから、と言って、
あらゆることを調べてから信じろ、
というわけじゃあない。
自分が信じていることには、
まだ分かっていないこともあるかも…
っていう余裕の提案です。
良いことも、わるいことも。
「常識は、それほど常識じゃない。」
(ボルテイリ)
この言葉が好きだ。
誰でも、好きなことを常識と言える。
誰でも、自分のことを常識にできる。
誰でも、信じたことを常識に思える。
そんなことを思ったわけ。
これが、ギャンブルの負けにも
通じるかな…?
【参考】
三国志(北方謙三)