答えは、時が来てみれば、余りにも…

答えは、時が来てみれば、
余りにも
分かりすぎていたことである。

けれど、時の至る寸前までも、
悟れないのが、…
人間の常であった。

(新・平家物語6、吉川英治)

時が来るまで認めたくない、
淡いながらも、
希望があるゆえに、人間の心は、
延ばし延ばしをしてしまう。

答えは、分かっていたりするんだよね。

「いや、絶対大丈夫だ。」と、
突進する時の感情には3種類あって、

何も知らないで
失敗へ歩む時と、

本当に「時」を見て
希望が湧いている時と、

現実を見たくないから
逃げるように進む時と…

分かっている、
分かっているからこそ、
現実を見たくない。

私も、そんな心境に
なったことがあるなぁ…

そして、大きな損失を見て初めて、
腰をあげる。

本当は、もっと早く始めていれば
良かったのに、
「こうなってくれたらなぁ…」
という思いだけで、
いたずらに時をすごしていたりして。

希望をあきらめないのは大切だけど、
単なる希望的観測は、
危険な場合もある。

常識がすりかわっているのに、
気づかなかったりするから…

自分の心で分かっていることには、
素直に向き合ってみよう、今日は。

【参考】
ココロでわかると必ず人は伸びる(木下晴弘)


モモ(ミヒャエル・エンデ)

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