死ぬことは、生きることの一部だ。

死ぬことは、
生きることの一部だ。

(映画「フォレスト・ガンプ」)

これを、
2つの意味で理解したい。

1つは、残された人にとって。
大切な人の「死」というのは、
次の瞬間から生きることについて、
間違いなく、何らかの意味を与える。

もう1つは、
人が魂や霊として、
ずっと存在すると考えた時。
そうなると、当然のごとく、
自分の「死」は、
その中の「ある時」でしか
なくなる。

それを受け入れるか、
否定するかは別として、

「死」で終わりでなく、
その後も、何らかの意味で
続くことがあると思えば、
生き方は変わってきますよねぇ。

人は、終わりがあると思えば、
がんばれることもある。

しかし、もし、
間違った「終わり」を
勝手に思いこんで進めば、

「終わった」と思った時には、
不要な敗北感や、
勘違いな達成感を抱くことになる。

後になって、
終わっていないことに気づき、
もう一度やる気を起こす必要が
出てきたときには、
一度冷めた心を奮い立たせるわけ
だから、けっこうたいへん
だったりするものだ。

「終わり」について
勘違いしてはいけないなぁ、
と思います。

終わって欲しいとは思っても、
なかなか終わっていないことって、
けっこうありますからね。

【参考】
映画「フォレスト・ガンプ」


「原因」と「結果」の法則(ジェームズ・アレン)

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