…最終的に初めにいた場所に戻り、…

我々のすべての探求は、
最終的に初めにいた場所に戻り、
その場所をはじめて
認識することである。

(英語)
The end of all our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time.

(T・S・エリオット)

この言葉を考えれば、
生きぬいて最後の瞬間に、
「自分は何者であったのか」
が分かる、ということになる。

そっかぁ、なんか、
気がぬけたと同時に、
そうだよなぁ、
と深く納得する。

どう頑張っても、
今この瞬間に、明快な答えが
受けられるわけがないんだ。

それは、最後に分かるもの。

いや、そうは言っても、
確信をもてる答えは、
その時その時に、
見つけられると思う。

しかし、それが
最後の答えとは限らない。

最後の答えは、
きっと、大きな答え。

「自分は何者であったのか、
 自分は何のために生かされたか、
 自分は誰から愛されていたのか。」

それが分かった時には、
「やっぱりそうか、良かったぁ。」
と言えるように、生きてみたい。

そして、今からも、
そこに通じるような生き方を
している自分でありたいと思う。

何歳からとか、
お金が貯まってからとか、
親が死んでからとか、

そういう制限なしに、
最後の答えに通ずる
生き方をしていたい。

神を信じる人から考えれば、
神の元から生まれ、
神の元へ戻るということ。
その意味が分かってくる言葉だ。

【参考】
第8の習慣(スティーブン・R・コヴィー)


こころの処方箋(河合 隼雄)

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