富を軽蔑する人間を、信用してはならない。…

富を軽蔑する人間を、
信用してはならない。

こういう人間がたまたま富を得ると、
一番始末の悪い人間になる。

(フランシス・ベーコン)

今日のいい言葉は、「…」に入る
以下の部分を中略しています。

「富を得ることをあきらめた人間が、
 富を軽蔑するのだ。」

ワタシ的に考えて、
この文章に抵抗のある人が
いるだろうと考えたわけです。

また、
執着も軽蔑もしていなかった人が、
富と権力のパワーに阻まれて、
それを憎み始めるケースも
あるだろうとも考えました。

おそらく、だいたいにおいて、
富と権力は、仲むつまじいもの。
富の「財界」と権力の「政界」を
合わせて、政財界と呼ばれるのも、
その所以でしょう。

だから、
そのいずれも持たない人は、
苦い経験をし、ある意味、
それらを持つ人を嫉妬することも
ありえるわけです。

だから、富を嫌う人に限って、
逆にそれを欲しがっていたり、
権力を憎む人に限って、
権力を乱用したかったりするのも
分かります。

私にだって、その傾向がない、
なんて言い切れません。

ただ、富を得ることをあきらめて、
あるいは、
富や権力に阻まれたからといって、
富や、お金を軽蔑しても、
何の解決もしないのが事実です。

山にこもったり、
無人島に行って、
一人で自給自足の生活を
しないでもない限り、
その富(お金)が必要であることに
かわりはありません。

お金に執着するか、軽蔑するか。
その2つ以外の方法もあると思う。

お金に縛られないこと。
それは、軽蔑とも違う…

お金が必要なことを認めて、
なおかつ、使われるのではなく、
使っていくこと。

お金の奴隷でなく、
お金の主人になること。

主人は、使用人に
執着もしなければ、
軽蔑もしない。
役立つように利用するだけ。

今日のいい言葉は、
「考える人」さんからの投稿した。
コメントは以下。
「お金よりも大事なものがある。
 お金は卑しいものだ。
 って考える人が多いけど、
 それは違うんじゃないかと思う。

 だってお金があるから
 病気で苦しんでいる人たちを
 病院に行かせてあげられるし、
 お金があるから募金したりして、
 人を助けることもできる。
 お金そのものが卑しいのではなくて、
 使う側の人間で、お金の価値が
 決定されていくんだと思う。」

その通りですね。

【参考】
ツイてる! (斎藤一人)

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