理解していないことより、
理解したつもりに
なっていることのほうが
はるかに危険である場合が多い。
(雑誌「プレジデント」)
あれ、誰もついてきていない!?
人の心をつかむというのは、
なかなか難しい時がある。
つかめていたつもりの人が、
つかめなくなる時もあるから。
今、選挙(2005-09-11)をひかえて、
反対の旗を大きく掲げて
突進していくつもりだった人々は、
ちょっと後ろをふり返った時に、
それに近い感情を抱いているのでは…
「つもり」だったが、
そうではなかったのだ。
一方、別の「つもり」が当たった側も、
この先をずっと保証されている
わけでもない。
それを肝に銘じていないと、
自分の「つもり」に、
自分がだまされて傷つく。
では、私たちが、
自分にだまされるのはなぜか?
それは、事実を知ろうとするよりも、
自分の願いや思いに合わせて
事実をゆがめることがあるからだ。
だから、自分の
願いや思いがない事柄の方が、
事実をちゃんと見る気持ちになれる。
たしかに、時には、
その「つもり」が正しいか否かを
確かめるために、「つもり」で
進んでみるのも大切だ。
しかし、その「つもり」が
正しくなかった時には、
意地などを張らずに、
潔く、やり直す気持ちを持ちたい。
そうありたいものです。
意地を張るのは、
エライ人たちに任せておきましょう。