自信は「健全な傲慢さ」と…

自信は「健全な傲慢さ」と
よばれることがある。
傲慢は自信の一種とも
いえるやっかいな感情である。

成功体験が
大きければ大きいほど、私たちは
「不健全な傲慢さ」に囚われ、
自分を見失ってしまう危険も増大する。

(雑誌「プレジデント」)

健全か、不健全か、
なんて誰にも分からない。

だいたい、
結果が悪かったから、
あの人の自信は、
不健全な傲慢さだったんだ、
なんて言えることでもない。

昨日こんな言葉が
投稿されていました。

「誰かがやるはずだった。
 自分がその誰かになりたかった。」
 (カール・ルイス)

いい言葉だと思います。
私も、そんなことを
果たせる人間になりたいな、
なんて考えます。

ただ、これも
「自分が、自分が」
という気持ちが強くなって、
あるラインを超えると、
不健全な傲慢さに
なっちゃうんでしょう。

難しいですね。

結果とその時の自分の思いから、
学んでいかなくちゃいけない
ことですね。

傲慢さは得意な私ですが、
それに「健全な」が
付けられるように、
今日もがんばって生きます。

(参考)感情を出したほうが好かれる(加藤諦三)


人生の短さについて(セネカ)

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