人は幸福の時は偉大に見えるかもしれないが、…

人は幸福の時は
偉大に見えるかもしれないが、
真に向上するのは
不運の時である。

(シラー)

Kさんからの投稿です。
「不幸を幸せって呼べる時が
 くるかもしれない。」

成功しているように、
幸せそうに見える時、
多くの人にうらやましがられる。

人々からの注目を集め、
その秘訣やヒントを
尋ねられたりもする。

仮に、本人自身は、
そんなことを少しも
感じていなかったとしても、
なんとなく、その気になってくる。

しかし、人の心は移ろいやすい。
しばらくすれば、
注目の眼差しは別のところへ向かい、
自分の成功や幸せも、いつの間にか、
どこへいったか忘れていたり、
大切なものを手放していたりする。

気づくのは、自分も人々も、
ニセモノをつかまされていた
ということ。

ニセモノをつかまされ、
それに浮かれていた時期が過ぎて、
現実に向き合った瞬間にこそ、
「生きる」べき理由を
見つけなければいけない。

だいたいにおいて、そんな時には、
自分を励ませるような理由は、
たいして残っていないけれど、
それでも頑張らなくちゃいけない。

そうすれば、本当に成長して、
成功とか幸せの意味が分かる。
そういうことかな…

(参考)ヴァレンシュタイン(シラー)


こころの処方箋(河合 隼雄)

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