…長く「生きた」のではなく、長く「有った」にすぎない。

髪が白いとか
シワが寄っているといっても、
その人が長く生きたと
考える理由にはならない。
長く「生きた」のではなく、
長く「有った」にすぎない。

(人生の短さについて、セネカ)

私の家系は、
白髪になるよりも
髪の毛が薄くなる方ですから、
30歳を過ぎてからと言うもの
けっこう心配してました。

しかし、幸いなことに、
新陳代謝がまだ機能しているらしく、
今なお、安全地帯にいられます。

それでも、いつかは、
長く生きた証が一つ二つと
見えてくることでしょう。

その時には、
それが「長く有った」だけの証で
ないように祈るばかりです。

そういう外見以外で言えば、
でしゃばりたくなるのも、
もしかしたら
「長く有った」証かもしれないな、
と思うことがあります。

子供に付き合って、
いろいろ行動しているせいか、
スポーツ少年団のさまざまな姿を見ます。

それぞれのところで、
それぞれの指導体制があって、
うまくいっていて、
ものすごく強いところもあれば、
強くはないけれど、
楽しくやって満足しているところもある。

はたまた、すごく強いんだけれど、
内部は、ゴタゴタなところもある。

ある団には、
本当の監督は一人なのに、
世話役ボランティアとして、
シニア世代の男性が必ず付き添っている。

やっぱり、そのシニア男性が
でしゃばるわけです。
時には、試合が中断されるくらいに…
けれど、その監督さんも、
その男性を止められない。
仕事をもたないシニアですから、
いろいろと団の世話(?)を
してくれているのでしょう。

そういうことを考えると、
その「でしゃばり」をとがめるのに
気が引けている様子。

自分の身の置き場を
微妙に感じとるっていうのは、
やはり「長く生きる」ことを
していないと難しいように思います。

長く有った、だけは難しい。
そういう感性は別物だから。

(参考)人生の短さについて(セネカ)


モモ(ミヒャエル・エンデ)

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