「見抜く価値のあるウソ」と
「見抜いても仕方がないウソ」
というのがある。
(雑誌「プレジデント」、横田雅俊)
誰でも、ウソは嫌う。
ウソをつかれて、
それに乗せられてしまい、
損をしたら、怒りたくなる。
損害賠償もんの話もあるだろう。
しかし、
見抜いても仕方がないウソを
見つけたときに、いつまでも、
イジイジとそれを責め立てていると、
もっと大きなウソをつかせることになり、
本当に大きな損失に至ることがある。
ウソは嫌いだ、
という正義感、価値観も
分からないでもないが、
そのウソを見つけた時に、
その背景を探ってみれば、
ウソそのものよりも大きい
本当の問題が見えてきたりする。
そちらを解決する方が、
何倍も重要なのだ。
もし、相手にウソを指摘した時に、
「あ、この人は分かる人だ。
この人にはウソはつけない。」
と自分を改めるような人間性の持ち主なら、
指摘することは賢明だけれど、
そうでない場合は、
ウソをつかせた背景を
探ってみた方がいい。
私の周りにも
ウソの常習犯がいるので、
その背景を探りながら、
いろいろと対応しているところです。