…「助けられているのはむしろ私の方だ」…

実際にボランティアに
楽しさを見いだした人は、
ほとんど
「助けられているのは
 むしろ私の方だ」
という感想を持つ。

(ボランティア、金子郁容)

今年のサッカーワールドカップを
引退試合としたジダン選手は、
決勝戦で頭突きをした罰として、
ボランティア活動を
命じられていましたね。

ボランティア活動が罰だなんて、
ちょっと違和感を感じますが、
時間を忘れて、ボランティアに
取り組んだ時には、
きっと視点が変わるもの。

その1つが
「助けてやっている」でなく、
「救われた」という感じること。

ボランティアに来た人が、
「こっちは、わざわざ
 助けに来てるんだよ。」
という態度じゃ、
お金を払って仕事として
来てくれるプロの方がありがたい。

身内からの無償介護より、
ヘルパーさんの介護の方が
心と身に染みるっていうのは、
こういうことにも
関係あるんでしょう。

もちろん、
ボランティアをする側だけでなく、
それを受け入れる側にも
問題があるケースも
少なくありませんが…

一方が
「そんなのは当たり前だ」
と思い始めた時から、
「救われた」気分から遠ざかります。

そもそも、
人を助けた気分になるのは簡単ですが、
本当に人を助けるっていうのは、
簡単でないことがあるんでしょう。

(参考)ボランティア(金子郁容)


道は開ける(ディール・カーネギー)

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