今の私は
あの想い出と
あの想い出と
あの想い出で出来ている。
それらをなかったことに
しちゃうのは勿体ない。
(砂時計、芦原妃名子)
人生を生きてれば、
なかったことにしたいことを、
私たちは次々にやってしまう。
あるいは、出会っちゃう。
その時は、
かかわらないで生きたい、
と思っても、
そういうことを通らなければ、
かかわらない方がいいことを
学ぶことも出来ない。
イヤな「ためになる」想い出すら、
残らないわけだ。
想い出の違いで、
ケンカになったことは
ありませんか?
私が子供の頃、うちでは、
ほとんど毎日のように
父母や祖父母がケンカしていたね。
どのケンカの時に、
それをしたかは覚えていないけど、
あんまりにもケンカがひどかったから、
家の外に逃げ出したことがあった。
しばらくして、弟と、
それを想い出話として
語り合ったときに、
「逃げたのは、俺だよ。」
「いや、俺だよ。」
なんてことになって、
ケンカになっちゃった。
多分、私が正しかったと
今でも思っているけれど、
それはどうでもいい。
間違った想い出でも何でもいいから、
自分がつくられていればいいと思う。
想い出の役目は、そこにある。
(参考)砂時計(芦原妃名子)