だれかに必要とされるってことは、…

だれかに必要とされるってことは、
だれかの希望になるってことだ。

(まほろ駅前多田便利軒、三浦しをん)

みはるさんからの投稿です。

自分は、
未来があるように
思われてるかなぁ。
それとも、
未来がないように
思われてるかなぁ。

自分は、
柔軟に見えるかなぁ。
それとも、強情に見える?

自分は、
自分から動く人、それとも、
他人に頼りっぱなしの人?

そう考えてみれば、
未来があるように思えて、
柔軟で、自分から動く人には、
希望を感じることになる。

そういう自分になりたい。
そうすれば、必要とされるから?

でも、他人に必要とされる前に、
自分が自分に必要とされる生き方を
見つけなくちゃいけないでしょ。

「組」という言い方を
嫌う人は少なくないと思うけど、

世の中は、
「勝ち組」は未来があるグループで、
希望も持てて、必要とされていて、
「負け組」は未来がないグループで、
希望もなく、必要とされていない、
という分け方をしている。

でも、私は、
その分け方、単純すぎると思う。

そうじゃないと思うんだよな。
そうじゃなくあって欲しい。

負けっていうのは、
これまでの土俵、ルール上では
負けているだけのことで、

新しい土俵、ルールを
自らでこしらえれば、
別の新しい勝負を
始められるはずだから。
(もちろん、大変なことだけど)

そもそも、
これまでの土俵、ルールに
希望をもてないのに、
そこだけにしがみついて、
いつまでも戦おうとするところに
希望がもてない原因もあれば、
必要とされない結果もあるのだろう。

自らの手で、
自分の活躍するべき
新しい土俵、ルールをつくり、
魅せられる生き方を
しなくちゃいけないんだよ。

まず、それが
自分に希望をもつということ。

(参考)まほろ駅前多田便利軒(三浦しをん)


人生の短さについて(セネカ)

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