痛い目みて、迷惑かけないと…

痛い目みて、
迷惑かけないと
わからない気持ち
だってあるさ。

人生の底まで
墜ちて初めて
わかる気持ち
だってあるさ。

(フルーツバスケット7巻、高屋奈月)

こんなことになるまで
気づかない私(俺)は、
なんてバカなんだろう…

実際、バカなうちは、
本当に気づけない。

バカを通り越して、
とんでもないことが起きた時に、
バカが見えるようになる。

本当は
越えちゃいけない一線、
越えないほうがいい一線、
越えたら戻るのがたいへんな一線。

そういう一線と、
ちゃんとした距離を置きながら
生きていける人もいれば、

ギリギリのところを歩いたり、
それを越えてみないと
自覚できない人間もいる。

もちろん、
越えたからといって
戻れないとは言えない。

だいたいは、戻るのが
とてつもなく大変なだけ。

そういう人を表現するのに
ピッタリな秋田の方言に、
「ほじなし」という言葉がある。

何がないと言えば、
「ほじ」がない人のこと。

ほじって何だろう?
って昔から思っていたけれど、
なかなかうまく表現できない。

知恵、自覚、理解、気づき、分別、
みたいなことかなぁ、
としか言いようがない。

多分、ほじはほじなのだ。

自分が「ほじなし」だと
分かる時期が早ければ早いほど、
後戻りが少なくて済みます。

ほじなしに、年齢制限はないから…

(参考)フルーツバスケット7巻(高屋奈月)


道は開ける(ディール・カーネギー)

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