常識とは、
大多数の意見であって、
正解ではない。
(安田佳生)
人は、自分の
知っていることについては、
常識を語りたがるが、
知らないことについては、
その常識を語りようがない。
しかし、本当は知らなくても、
自分よりも知らないだろうと思う相手には、
何かと語りたくなってしまう。
語ってしまった後に、実は、
相手のほうが、自分よりも数倍も
知っている人だと分かった時には、
とても恥ずかしいものである。
ただ思うのは、常識というものは、
知っている知らないの問題にするよりも、
それをどう使うかの問題の方が
もっと大切なんじゃないだろうか、
ということ。
大多数の意見があるからということで、
自分の意見を遠慮する方法もあれば、
大多数の意見があるからこそ、
自分の意見をセンセーショナルに
発信するという方法もある。
常識に従うのが、いつも正解とは限らない。
常識に逆らうのが、ベストとも限らない。
常識は、味方にもなるし、邪魔にもなる。
その時々に一番いい、常識の使い方を、
見つけられるセンスが欲しいなぁ…
と思います。
(参考)下を向いて生きよう。(安田佳生)