過去の自分は
もはや他人だ。
他人として、見よ。
(宗夜苳治)
時おり、
何も知らなかった過去の自分が、
うらやましいと思えることがある。
反対に、
何も知らないという同じ理由で、
バカだったな、恥ずかしいな、
と思ってしまうこともある。
わたしの場合には、
過去の自分を思い出して、
冷や汗をかくことも多い。
あの時、よく事故らなかったなぁ、
もう少し早ければ、もう少し遅ければ、
危なかったなぁ…と思うのだ。
しかし、
過去の自分をどう思おうと、
今の自分からはコントロールできない。
それは、他人を
コントロールできないのと、
たしかに共通する。
コントロールできないものに、
長い間向き合うのは、間違いなく、
辛いものになるか、
ストレスを感じるものになる。
もちろん、他人事として、
ただ眺めるのであれば、
自分の失敗や苦労も、
面白おかしく見えるかもしれないが…
そうなるまでには、きっと、
今コントロールできる「今の自分」を
うまく扱った上で、いくらかの時間が
必要になるだろう。
過去の自分さえも他人。
面白い発想です。
ただ、気にしないで済まされず、
償わなければいけない過去がある場合は、
「あれは他人がやったことだ。」
なんて逃げてはいけません。
きちんと、
「今の自分」ができることを
やりましょう。
(参考)自分と未来は変えられる―他人と過去は変えられない (高塚 猛)
No.5458