ひとつしかないもの、
ひとりしかいない人、
一回しかない機会。
そういうものこそが、
ぼくらの生きている世界の
「実体」のように思います。
うん、そういえば人生も、
そんな具合なものだもんね。
だから、その、
「なんでもない日おめでとう」
なんだよな。
(ほぼ日、糸井重里)
特別な日が近づいている、
っていうときの
興奮、あるいは緊張は、
とっても大きい。
その日のために、
準備や練習してきたことが、
明日には、あさってには、
ハッキリ分かるって感じ。
終わってみれば、
緊張も、興奮も、
サーッと去っていく。
忘れられない幾らかの感情は、
残るとしても、やっぱり、
薄らいでいく。
ほんの3ヶ月前に行われた
2008北京オリンピックの感動だって、
きっと、年末の2008総特集番組で見れば、
思い出すくらいなもので、
もう特別なことじゃなくなっている。
そうなってみれば、
特別な日も、そうでない日も、
そんなに変わらない。
特に、他人事ではね。
わたしにとって特別でない今日が、
誰かにとっては特別かもしれない。
私にとってなんでもない日が、
妻には最高の日になるかもしれない。
けれど、そういう最高だと
喜んでいる人を見るのも、
きっと、嬉しいことなんだよね。
それを、よかったね、おめでとう、
と言えることも、幸せなんだよね。
だから、自分にとって、
特別じゃないからといって、
特別な日じゃないと
決めつける必要はない。
とりあえず、
誰かの何かに「おめでとう」
っていう気持ちで一日を迎えられたら、
いい気分で過ごせるように思います。
(参考)10人の法則 ―感謝と恩返しと少しの勇気(西田 文郎)
No.2462