なにかを極めるとき、
人は無傷ではいられない。
(柔道家 吉田秀彦)
今日はクリスマス。
イエス・キリストの誕生を
祝う日となっていますが、
いつもの年なら降っている雪が
ほとんどなく、ちょっと
違う感じがしています。
もちろん、雪が降れば、
そういう大切なことを忘れないか、
と言えば、そういうわけでもなく、
最初から、キリストとは関係なく、
パーティの出来る1つのイベントとして
定着しているのが日本かもしれません。
ところで、
わたしが幼い頃には、
クリスマスとイエス・キリストが
結びつくものとは知りませんでした。
(英語が分かれば、Christmasの中に、
Christがあるので分かるでしょうが…)
クリスマスはパーティの日、
イエス・キリストは十字架にかけられた人。
そういう別ものとして
知っていただけのように思います。
きっと、小学校の前とかで、
外人さんがやっていた紙芝居の影響でしょう。
そんなイエス・キリストの誕生日が
クリスマスと分かってからは、
なんとなく不思議な気分になったものです。
なぜ、十字架にかけられた?
わたしたちの罪のため、なんて説明されても、
すんなり理解できたわけでもなく、今だって、
どれほど理解しているかは分かりません。
ただ、なんだかんだ言って、
クリスマスが祝われている日本、
西暦がキリストの誕生頃を0年として
スタートされていることなどを考えると、
見えないところで、いろんな人に
影響を与えているんだなぁ…と感じます。
キリストの受けた傷と、
私たちが人生で負う傷では、
比べものにならないでしょうけど、
変化を起こす、
なにかを極める、
人に影響を与える、
っていうようなことで受ける傷には、
甘んじていられる人間になりたいもんです。
(参考)クリスマスの三つのおくりもの
No.2536