人に誤解されたりすることって、…

人に誤解されたりすることって、
つまり、自分に
何かが足りないんです。

(ほぼ日「いろどり、その後。」、横石知二)

誤解されたくないから、
と言って、

自分について
自分が理解して欲しいように、
自分を形容する人がいますね。

その気持ちは分かる。

ただ、それをやり過ぎると、
不思議と、「誤解」の方が
本当のような印象を持たれます。

事細かに説明しないと、
誤解されるっていうことは、

やっぱり、あいまいというか、
ハッキリしないというか、

誤解される何かを持っていて、
理解される何かが足りない、
ということなんでしょう。

わたしも、自分が不利だ、
と感じたときに、
素早いアクションで
弁明を始めていたりします。

そんな時に、
ふと相手の顔を見る。

あれ?理解してなさろう…

っていうことに気づく。

すると、さらに
補足したくなる。

それを続けているうちに、
また、ふと相手の顔を見る。

あれ?興味なさそう…

ということに、やっと気づく。

もしかしたら、
相手にとってはどうでもいいことを
理解させようとしている場合が
多いかもしれません。

逆に言えば、
誤解されたとしても、
その場を過ぎこしてしまえば、
たいして気にされないことなのです。

それを、しつこく、
理解と誤解の中間地点に引き戻して、
説明を始めようとするから、
相手をウンザリさせ、
自分が苦しくなったりするのです。

誤解されたと思ったら、

「ま、しょうがないっか」

そんな気持ちを持つことが、
誤解を解く一番の方法かもしれませんよ。

(参考)そうだ、葉っぱを売ろう! (横石 知二)

No.2570


人生の短さについて(セネカ)

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