どこにでもあるクソ人生…

けどな、
どこにでもあるクソ人生でも、
こいつらにとっちゃ、
たった一度の人生だったってことだ。

(臨場、横山秀夫)

ひとつの人生を、
ひとつの本に
書き出せるとすれば、

自分の本を
いろんな人に読ませたいほど、
誇らしげな人もいれば、

一部さえ隠せば、
読んでもらいたい人もいるだろう。

クソすぎて、
読まれるのが恥ずかしい、
という人がいてもおかしくない。

読ませたいかどうか、
見せたいかどうかにかかわらず、
誰にとっても、
一度かぎりの人生。

他人から見れば、
情けない、恥ずかしそうな人生でも、
本人は、試行錯誤でがんばっている。

自分という人生からは、
どうやっても逃げることが
できなくて、

うらやましがったり、
泣いたり、じたばたしながら、
がんばっている人も少なくない。

それも人生。

話のつじつまが
合わないものもあれば、
望みもしないのに、
落ちていくばかりのものもある。

クソは、畑の肥やしになる。

クソ人生も、きっと、
後々になって、
自分の人生か、誰かの人生の
肥やしになるはずだ。

(参考)臨場(横山秀夫)

No.2893


人生の短さについて(セネカ)

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