「エリート」「落ちこぼれ」…

「エリート」
「落ちこぼれ」という
大まかな分類で
人を片づけたりしないで、

ひとりひとりが個性を持った人間だ
という目で見守ってやれば、
必ずどこかいいところとか、
伸びる部分とかいうものが
きっと見つかるんじゃないかと、
そう思うんです。

(NHK「お母さんの勉強室」、藤子・F・不二雄)

「ドラえもん」の作者が
言うことですから、
なんだか説得力を感じます。

ドラえもんに頼ってばかりの
「のび太」は大まかな分類で言えば、
間違いなく、落ちこぼれ。

けれど、その何のとりえも
なさそうな、のび太君を、
主人公(?)として描ける視線というのは、

いろいろな人の個性を
見つめられる心があるからじゃないか、
という気がします。

はたして、自分だったら、
まわりにいる平凡な人について、
マンガとか、ストーリーを
描けるもんなんだろうか。

そもそも、それができるためには、
人について、本当の関心がなければ、
できるもんじゃない。

自分にとって得な人か損な人か、
利用できるか利用できないか、
好きか嫌いか、だけで
判断しているようでは、
前に進めない。

個性というのは、
自分がその人に抱く感情とは
まったく関係ないということ。

個性は個性というだけで、
いつでも存在していること。
それを忘れちゃいけないですね。

(参考)ドラえもん 1(藤子・F・不二雄大全集)

No.3077


モモ(ミヒャエル・エンデ)

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