世の中には物を失ったとき…

世の中には
物を失ったとき
血眼になって探すが

心を失っても
平気でいる人が多い

(舟橋一哉)

探すには、
心が必要なんです。

心を失ったら、
探せるわけがない。

だから、
探す、探さないの
問題なんかじゃなくて、

心を失っていることが
問題なんですよね。

心を失っている方が楽だ、
と思わされるシーンは、
世の中にいくつかある。

私は病院に行って、
いろんな検査を受ける時に、
そんなことを思います。

自分のことでも、
子供のことでもいいのですが、
いくつもの検査を
受けさせられるんだけど、
なかなか検査結果を教えてもらえない。

予約をして、
次回のいついつの日に、
検査結果を教えます、
という具合。

きっと、
レントゲン写真とか、
その日のうちに分かってることも
あると思うんです。

けれど、時間的なこと、
病院や担当としての立場として、
マニュアルどおりの対応になり、

お医者さんも、看護婦さんも、
いろんな検査を終えるまでは、
決定的なことを言うのを控えている
と感じちゃうわけです。

なんと言っても、
患者はたくさんいますから…

そういう事情を踏まえれば、
自分の都合だけを優先してもらう
わけにもいかず、心を失うというか、
心を鈍くした方が楽なんですよ。

私の場合は、病院ですが、
家庭や職場において、
そんなふうに心を鈍くした方が
楽になれる人もいるでしょうから、
そういうことが積み重なれば、
そのうち失ってしまうこともあるでしょう。

気をつけなくちゃいけないですよ。

(参考)鈍感力(渡辺淳一)

No.3248


こころの処方箋(河合 隼雄)

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